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第7回 プラン東京の会 お集まり報告 渡辺明子 今回のお集まりは平成18年11月23日(木)に、前回と同じ「文京区立不忍通りふれあい館」で行われました。お休みの取り方では4連休になる方もいらっしゃるのか、直前にキャンセルされた方もあり、出席者はちょっと少なめの20名ほどでした。でも内容は充実していましたので、早速ご報告させていただきます。 1.開 会 … 全員参加の会として 代表の佐藤秀さんより「プラン東京の会のあり方として、最前線の情報を皆さんに発信するとともに、皆さんからの情報・提案なども積極的に出していただいて、全員参加型の会として活動して行きたい」との言葉に続き、御世話人の枝吉幸子さんから会計報告のあと、開会となりました。
2.会員の自己紹介 【長期支援者が多い】 今回は短時間ですが、出席された方々の自己紹介の時間が設けられました。 代表の佐藤さんから順番に、「支援チャイルドの国、これまでの支援の流れ、ご自分の仕事」などを発表していただきました。 その内容をまとめてみると…まず、支援期間ですが、皆さん長〜く(15〜20年以上)続けている方が多かったようです。そして一人のチャイルドが終了したら、次のチャイルドを紹介してもらう、または同時に数カ国のチャイルドの支援をするなど、その形態も様々。 また、その間には色々なドラマも。ほとんどのチャイルドは“卒業”までちゃんと支援できるようですが、支援が始まって間もなくチャイルドが他の地区に引っ越してしまい、支援が中断してしまうという残念な事もあるそうです。 【支援国の決め方】 支援するチャイルドの国籍を決めるについては、皆さんいろいろな気持ちをお持ちだと思いますが、「仕事でその国に住んでいたことがあり、なじみがあった」など、まずは「なじみのある国」という事から始める場合が多いようです。 仕事でその国の発展に携わり、次に個人としてその国の成長に関わる。そして数年後にその発展や成長が実を結ぶのを目にする時、何とも言えない喜びを感じるのでしょうね。 【他のボランティアにも参加】 プランジャパンだけではなく、他のボランティアでも活躍されている方もいらっしゃいます。例えば登山家の野口健氏が毎年行っている「富士山の清掃活動」に参加されるなど。 他の方のお話から、「そういう支援の方法もあるのか」と気づかされた事もあります。それぞれが自分の体験を話せるちょっとした時間が取れたのは良かったですね。 3.エクアドル訪問記 …… 目黒恵子さん スラリとしたスタイルとツヤツヤした肌、クラッシクバレエを30年も続けているという目黒さん。「実は皆さんの自己紹介は、私が佐藤さんにお願いしたんです。初めて会う方たちの前で話をするのは緊張してしまうので。でも今、皆さんのお話を聞いて緊張がほぐれました」と、にこやかな笑顔で中身は壮絶(?)な訪問のお話を披露してくださいました。
目黒さんのプランジャパンでの支援歴は15年ほどと長く、他にも得意のバレエを通じて、地雷撤去支援のためにも、毎年ボランティアの舞台公演を行っている「白鳥の会」の代表も努めていらっしゃいます。そんな目黒さんが「自分はこうして日本に居ながら支援しているけれど、実際の現地の人の暮らし、どんな苦労があるのかなどを知っているわけではない。今のままでは、ただの自己満足なのでは?」との思いが強まり、どうしても自分が支援している人々の生活、また支援がどう役立っているのか? を自分の目で見るために支援チャイルドの国、エクアドル行きを決めたそうです。
ただ、エクアドルに行くツアーもプランジャパンにはなく、まずは行くための手段探しから始め、他のツアー参加者と現地の勉強会などを重ねての出発でした。 《いよいよ現地へ》 ツアー参加者は26〜67歳までの老若男女、スタッフを含めて19名、出発は8月。勉強会を経て万全の体勢での出発、と思われましたが、目黒さんには一抹の不安が…。それは「食べ物」と「高山病」。 現地の人々の主食は、ジャガイモや豆、そして大切なタンパク源となるモルモット。勉強会では、「現地の方がもてなしてくれる食事は、“ありがとう”と言ってなんでも快く食べてください」と聞いていたのですが、ちょっと自信がない目黒さんは、「長旅だし、日本食を持って行こう」と沢山買い込んだそうです。でも出発間際になって、「やっぱり現地の人と同じものを食べてこそ分かることがある」と思い直し、結局持参したのはレトルトのおかゆ1パックのみだったそうです。 次の不安が高山病、この言葉はよく耳にするけれど、実際にかかったこともないし、どんなものなのかイメージが湧かない。ただ、みんなの話ではとてもつらそうな様子。 不安がっても仕方ない、もう行くしかない、と水の少ない土地柄もあり、それまで伸ばしていた髪をばっさり切っての出発となりました。 《高山病第1号》 夜の10時ごろ現地に到着。長旅の疲れもあり、早々にみんな寝床に着き、目黒さんも気持ち良く眠っていたのですが、午前4時頃突然襲われたものすごい吐き気と頭痛、寒気で目が覚めました。「一体何? 自分はどうしちゃったの?」と思いながら、他の人を起こすにもまだためらわれる時間なので、一人耐えていたものの、もう限界! 近くに眠っていた人を起こして事情を話すと、どうやらこれが「高山病」らしい。「えー、まさか私が? しかもトップバッターで? こんなに気持ち悪いのにこれからの長いプログラムをこなせるの? 他の人は何ともないの?」と次から次へと湧き上がる不安や疑問。食欲なんて全然ない、1日目の予定だってこなせそうもない。そんな時、同行者がいれてくれた1杯のほうじ茶でわずかですが気力がよみがえったそうです。 これまで体験したことがないくらい、気持ち悪い。でもせっかく来たのに何もしないで帰るわけにいかない。何とか1日目の予定の支援チャイルドが住む山「コトバクシ山」へ向かうバスに乗り込みました。 《具合悪いのに踊っちゃった》 乗り込んだバスは日本では考えられないようなガタガタ道を走り、コトバクシ山に到着。そこに住むのはケチア族という民族。国や民族によっては外国人を受け入れるのが苦手な人々もいるそうですが、ケチアの人々はひとなつこく、快く目黒さん達を受け入れてくれました。
目黒さん達は2,000円くらいを目安に、サッカーボールや髪飾り、人形などのお土産を持参しました。それらをとても喜んでくれる姿を見て、高山病の苦しみも少しは薄らぐ気がするような…。そしてケチアの人達の歓迎セレモニー、みんな心から楽しそうに、そして「ようこそ来てくれました」という気持ちを込めて民族舞踊を披露してくれています。それを見て感動した目黒さん、踊りは得意ということもあって、一緒になって踊りだしてしまったそうです。驚いたのはツアーの仲間。「め、めぐろさん、大丈夫? そんな踊ったりして、さっきまでバスでぐったりしてたのに…」そう、ケチアの人達の明るい歓迎ぶりが“火事場の馬鹿力”的なパワーを目黒さんに与えてくれたのでしょうね。
《事業支援の視察》 さて、目黒さんだけではなく、他の仲間にも高山病で苦しむ人が数名出ながらも、ツアーのプログラムは一つ一つ進んでいきます。 「自分達の支援が現地でどのように役立っているのかを見る」時が来ました。 ☆
貯水池 ⇒ 「この貯水池ができるまでは村の女性が朝3時に起きて遠くまで水を 汲みに行くのが日課でした。水はとても重く女性にとっては重労働だったのですが、この貯水池ができたおかげでいまは水汲みから開放されました」
☆ スプリンクラー ⇒ 「乾いた土地にスプリンクラーができたおかげで、主食であるジャガイモや豆を以前よりも沢山作れるようになりました」
☆ 学 校 ⇒ 「以前は屋根のない青空教室だったのですが、今ではちゃんと天井と床のある学校になりました。その大切な教室に生徒たちはクツを脱いで上がり、授業を受けています」
☆ 医療センター ⇒ 「病気になっても十分な治療を受けることが難しい地域ですが、今は年1回の健康診断を受けることもでき、病気を予防することもできるようになりました」 箇条書きにすると淡々としています。そして日本に住む私たちから見ると、「あるのが当たり前」のことばかりです。学校にしても病院にしても、とてもきれいとは言えないし、設備も十分とは思えない。でも村の人々が本当にうれしそうに、力を込めて「昔に比べたら今はこんなに楽になった。こんなに良くなった」と話してくれる姿を見て、目黒さんは、「私たちがしている支援は、お金だけではなく、その気持ちもちゃんと現地に届いていて人の役に立っているんだ」と言うことを実感したそうです。 《こんなに違う“当たり前”》 ケチアの人達との交流は初日の歓迎会に始まり、一緒にゲームをしたり新聞紙で兜を折ったり、手品をしたり、お互いが知らない事を教えあって楽しく過ぎました。その中には、今の日本に無くなってきているものがまだありました。
それは一緒に食事をした時の事。目黒さんが当初不安に思っていた現地の食事です。先方は心からの歓迎の気持ちを込めて、普段自分たちが口にできないごちそう、“モルモットの丸焼き”を出してくれました。現地の人達はモルモットを育ててはいるけれど、自分たちで食べるのではなく、それを売って収入を得ているのです。そんな大切なご馳走を「喜んで食べなくちゃいけない」とは思うものの、他の仲間も積極的に手が出ない様子。その時ある人が機転を利かせて「僕たちはもうお腹が一杯だから、皆さんもどうぞ」とその場に居た現地の人達にすすめたのです。すると、みんな大喜び。めったに食べられないご馳走が食べられる! でもその場でかじりつきはしませんでした。ご馳走だから家に持って帰って、家族みんなで食べるのだそうです。
レストランに入って飲み物を注文した時もそうです。子供達は普段は飲めないコカコーラを注文しました。すると瓶に入ったコーラをビニールの袋に移し替えています。「?」 これも、コーラなんてめったに飲めないからお土産にして、家族にも飲ませて上げるためでした。 コーラをお土産にする。自動販売機やコンビニですぐに買える今の日本では想像できないことです。そしてやはり彼らはまだまだ貧しいというのが現実です。でも、モルモットやコーラを家族に見せて、どうしてこれをお土産にもらったか、などを話ながらみんなで分け合いながら食べたり飲んだりする。その光景には貧しさはないような気がします。
このような交流を通して目黒さんは、支援の行方を自分の目で見、間違ってはいない、と言うことを実感し、これからもこの体験をいろいろな人に話して、もっと支援を広げていきたいと考えながら帰国したそうです。 (手紙と笑顔の人々) ただ高山病の影響は大きくて、帰国した時は本当にヘロヘロ状態。完全に回復するには2週間ほどかかったそうです。 苦しい思いをされたと思いますが、それを私たちの前で話す目黒さんは生き生きとしていて、話し方もとっても楽しかったです。目黒さん、ありがとうございました。 1.懇親会&バザー 恒例の懇親会とバザーですが、今回はデジタルカメラという高額品の提供もあり、他にもラピスラズリの原石やインド製の本立てなどなど、落札までのやり取りも楽しく最後に記念写真の撮影をして、終了となりました。
(バザー、お世話人の西村南美子さんによる楽しい小品紹介)
(筆者: 前列右から2人目) 今年はこれで最後となりますが、皆さん良い年をお迎えください。また来年お会いしましょう。 追記: 前年度バザー収益 41100円は バングラデッシュ幼児教育援助 として一般寄付されました。
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